沖縄紀行と案内・13

沖縄紀行Part13:(古宇利島とヒルギ林)     Part14:(名護・名護中央公園)へ
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沖縄紀行(13)今帰仁 「古宇利島」



古宇利大橋


墓地
写真:沖縄特有の墓地を背景に「古宇利島大橋」と墓所



周囲数kmの小さな島・「古宇利島」に、何百億円の橋はイカが・・?、

「今帰仁城址」を後にし。 来た道を一旦戻り、国道50号線より東の方角を目指す。
国道はこのまま進むとやがて国道58の名護バイパスより名護に戻る。 

その途中に名護動植物公園(通称・ネオパーク)があるので、孫達のためにそちらへ向かおうとした・・が、お疲れの様子でスッカリ車中で爆睡中である。 あらためて相談の結果このまま向かって「古宇利島」へ向かうことにした。

街中に「北山」という施設や地名があって、昔の王朝の名称も多く残っているのが良い。
村役場(今帰仁)のほぼ1km手前、国道左側より斜めに分岐する松並木の広い未舗装の道が有る。
一見あまり整備されていない神社の参道にも見えるが、ここは琉球王朝時代からそのままの形で残る馬場(ばんば:競馬場)の跡で、「今帰仁村仲原馬場」という史跡になっているという。 

沖縄の各地にあった馬場の一つで、農村における民俗行事や畜産奨励のための競馬などが行はれたという。
他の馬場は沖縄戦で破壊されてしまい、昔から有名なこの仲原馬場だけが往時の面影を残していると。


今帰仁村の役場から町並みを過ぎ、間もなくすると羽地内海(はねじ)と呼ばれる湾に面した風光な道に出る。湾の向こうに望めるのは一見陸続きにも見えるが、れっきとした島で「屋我地島」(やがじ)といい、このため内海は湖のように静かである。
この島の更に向こう側に目的地の「古宇利島」」が浮かんでいた。

湾岸国道は、やがて再び58号線に合流し、ほどなく左折すると屋我地島である。 
一走りで次の古宇利島へ向かう、屋我地島からはまっすぐ伸びた真新しい舗装の橋を進む。 
それにしても立派な橋である。

ただ島の人には申し訳ないが、周囲数kmの小さな島、集落も疎らなこの島に何年もの歳月と何百億かの工費を注ぎ込んだことへの疑問も生ずるが・・?。
偶々現在、国会で「ガソリン暫定税」や「道路特定財源」など道路に関する諸問題で与野党紛糾しているらしいが、果たしてこの橋は誰の為の、何の為の橋なのであろうか・・?、些か疑問符を感じたのである。


橋下に見える海が、美しいエメラルド色に変わっていたのに気が付き、変な空想はいつしか消滅した。
島に着くと左手に大きな公園が出来ていた、一休みしながら立派な橋に見入る。
島の外周を走っていて気が付いたが、道路両側は広大なサトウキビ畑が広がる。
丁度収穫時期であろう島の人のサトウキビ刈に余念が無い、車を止めて小話をしながら少量戴いてしまった。
齧る(かじる)とホンノリ甘い味がする、黒糖の材料なのである。
思えば、こちらへ来る途中、那覇方面へ向かって古木、薪・・?を積んだ何台かの大型トラックと何台か擦れ違った。あれはサトウキビだったのである、今になって気が付いた次第である。

そして、 サトウキビ畑の端っこ美しい海、大橋を見下ろす丘の上に沖縄特有の形をした巨大な墓地、墓稜が所々に並んでいる。 
沖縄では元々風葬が主流で取り敢えず墓室内に遺体を安置し、数年後に洗骨をして壺に納め、墓室内奥の棚に納めているといい、そのため、墓全体が大きいのだといわれている。
沖縄では墓地のことを「カメヌクー」と呼ばれ、内部は小さなものでも6〜8畳もあるらしい。

沖縄の春には清明祭(シーミーサイ・旧暦3月に行う祖先供養の行事で、中国から伝わった祖先供養の行事)と呼ばれる行事があり、それぞれの墓地の前庭で“墓参り”と“宴会”が繰り広げられるという伝統があるので前庭も広くとられているという。 
形も近年では多様になってきているが、独特で伝統的な墓は「亀甲墓(きっこうばか)」と呼ばれるものらしい。
これは女性の子宮を模したものといわれ、墓の入り口はちょうど産道に当たり、人は母の胎内から生まれ、死ぬとまた帰って往くという琉球特有の「母体回帰」の思想からくるものという。 
因みに、琉球王朝時代には庶民が亀甲墓をつくることは許されず、現在数多く見られる亀甲墓は明治以降につくられたものが殆どであるとか。

「母体回帰」の思想に関連するかどうかは不明であるが、この美しい島や海には「沖縄版:アダムとイヴ」の神話伝説があるらしい。

『昔、古宇利島に空から男女二人の子供が降ってきた。彼らは全くの裸であり毎日天から落ちる食べ物(餅)を食べて幸福に暮らしていた。 最初はそれに疑問を抱かなかったがある日、食べ物が降らなくなったらどうしようという疑念を起こし、毎日少しずつ食べ残すようになった。 ところが二人が貯えを始めたときから餅は降らなくなってしまった。二人は天の月に向かって大声で歌ったが食べ物は二度と降ってくることはなかった。 二人は「生活と労働」の苦しみを知り、ジュゴンの交尾を見て男女の違いを意識しはじめた。そして、恥部を蒲の葉で隠すようになったそうな。 この二人の子孫がやがて増え、今の琉球人の祖となった、』

と云う神話である。

因みに、古宇利大橋の親柱には、古宇利島に伝わる「人類発祥伝説」にちなんで、男女を象徴する「男柱」と「女柱」で構成されているという。


島の主要な道路から集落の中に向かう小道の所々に「自動車進入禁止」の看板が見られる。
無論、集落や個人宅へ普通の観光客の侵入を防ぐものと思われるし、新しい橋が出来て大勢の観光客が押し寄せ、結果、自分達の生活の場に入り込んでほしくないと思ってのことだろう。
判ってはいるが高価な橋で生活の利便性を確保した今、島民挙って歓迎するのも一つの手だと思うが、それとも過去に何か問題でも起きたかな・・?。
美しい島に、やや水を指された感じであった。

帰路、大橋から観る屋我地地区の島々が景観を造っている、この辺り一帯は「愛楽園」といって昔のライ患者の療養所だったとか。
ちなみに古宇利島は今帰仁村だが、屋我地島は名護市に所属するらしい。


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本島を横断して東海岸の「慶佐次湾」へ・・、


マングローブ
慶佐次湾のマングローブ林を「ヒルギ林」とも云う


さて次に向かうのは東村方面・・、つまり西海岸から東海岸へ到るのである。
沖縄県道14号線で本島を横断して慶佐次湾へ向かう。
ヒルギ林」と称して慶佐次湾のマングローブ林のことで、沖縄本島では最も広くマングローブ植物を見ることができるところである。

慶佐次湾に流れ出る慶佐次川河口に架かる橋の袂から、早速そのタコ足のように地面に吸い付くマングローブ林が見渡せる。 
時折、TVの映像などでお馴染みであるが、実物は全くの初めてで、興味深々である。
橋の袂のすぐ横には見学用の駐車場と広い園地になっていて園地から川岸、マングローブ林に沿って観察用、見物用の桟橋が渡してある。 
夕刻とあって他の客は無く、悠々と観察できた。今は干潮期なのであろう、干上がった砂地には無数の穴があって、特有のマングローブカニ(シオマネキ類やコメツキガニなど)が出入りしている。

一般にこのマングローブ林を「ヒルギ林」と称している。
ヒルギは「蛭木・紅樹」とも書き、ヒルギ科でオヒルギ・メヒルギ・オオバヒルギなどの種類があり、総称してマングローブと称しているようだ。
常緑の低木または高木で呼吸根をもち、耐塩性など特異な生理的・形態的特徴がある。 一帯は、1972年に沖縄の祖国復帰と同時に国の天然記念物に指定されている。


帰りに同じく東海岸に面して「カヌチャベイホテル」のイルミネーションを見物したが、予想に反して大した事は無く、そのまま再び名護へ戻って夕食を摂ることにした。

名護市大東の少し繁華街から離れた場所にあり偶然見つけたもので、「新風料理 風 kaji」という和風居酒屋に立寄った。 
沖縄では「風」のことを「かじ」と呼ぶのであろうか・・?座敷でユッタリ腰を落ち着け、今日の疲れを癒しながら冷たい「生」を流し込む。 地元食材を品のある盛り付けで目を楽しませ、値段もマズマズで皆さん身も腹も満足したところで帰路についた。

次回は「名護」    Part14:(名護・名護中央公園)へ   沖縄詳細目次


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