沖縄紀行と案内・26

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沖縄紀行(26)那覇 「世界遺産・識名園」



識名園1


識名園2
識名園の回遊式庭園2枚



沖縄の克っての迎賓庭園、今、世界遺産の「識名園」・・、

識名園へ向かっている・・、
首里へ向かう国道の左側で、比較的判り易いところに在った。
夕刻も迫ってきていて、既に訪れる人も無く我等が最後の訪問者になったようである。 
琉球風の洒落た事務所兼入り口があり、その横に真新しい世界遺産の碑があった。
入口門から直ぐに、何故か通用門や正門というのが在り、当然、復元されてはいるだろうが往年の入場門なのであろう、王族一家や位のある人の正式の門だとか。

園内は熱帯性の植物であろう、先ず鬱蒼とした照葉樹林に覆われている。 
それでなくとも夕刻迫る時間帯でもあり、辺りは薄暗くさえ感じる。 道中、古風であるが立派に石畳が敷かれてあって歩きやすいが、細いハイヒールの女性には如何かな・・?などと、変に気を回してしまうが。 

両脇の石垣もいい雰囲気をだしている。 
間もなく石組みで造られた「育徳泉」という湧き水の出る所へ出た清冽な水をたくわえて池の水源の一つにもなっているらしい、小生は気が付かなかったが、なんでも「オキナワイモリ」が生息しているらしい・・?。

石組みは、琉球石灰岩を沖縄独特の「あいかた積み」という、巧みな曲線が美観を呈している。 この池は、「シマチスジノリ」とかいう淡水藻の発生地として、国の天然記念物にも指定されているという。
井戸口の上にはふたつの碑が建てられていて、その一つ向かって右側の「育徳泉」の碑には・・、

育徳泉の碑 』    

易曰山下出泉蒙君子  
以果行育徳
中山王新闢南苑有泉
出焉顔之曰育徳庶幾
王之進徳其猶泉之日
出乎 趙文楷


【意訳】
「易の蒙卦に“山下に出泉あるは蒙なり。君子もって行を果たし徳を育う”との文言がある。中山王はもてなしの場として、新たに南苑をおひらきになられた。そこにある泉からは滾々(こんこん)と絶え間なく清流がおこっている。ここをその易の一節から採って「育徳(泉)」と名付けよう。出泉の細流から遂にとうとうと流れる大河へと至るがごとく、徳を備えた立派な君子となられるよう、日々精進されますように」   趙 文楷 


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薄暗い樹林帯から、広大な明るい庭園に出た。
左手に琉球特有の赤瓦を載せた木造の建物が現れた。 
表に面する箇所は、戸や扉など全てが取り払われて、開放感溢れる趣である。「御殿」・(ごてん)と書いているが、沖縄・琉球風に読むと「う・どぅん」と称するらしい。

建物は閲覧自由になっていて静々と入室し、中央辺りで庭園を伺うと石橋や六角道を配した輝くような大きな池が一望の眼前にあった。
建物の面積は約160坪で、「冊封使」を迎えた一番座、それに連なる二番座、三番座、台所、茶の間、前の一番座、前の二番座など、15もの部屋があった。

冊封(さくほう)とは、中国王朝の皇帝がその周辺諸国の君主と名目的な君臣関係を結ぶことで、中国皇帝の勅を奉じて周辺諸国に使わす使節のことを「冊封使」(さくほうし)というらしい。


識名園」の造園形式は、池のまわりを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした「回遊式庭園」になっている。
回遊式庭園は、平安期の貴族が園遊会などを催すのが主であったが、江戸時代には大名によって造営された大名庭園として発達した形式であり、現代の日本庭園の集大成とも位置づけられる。
大きな池を中心に配し、その周囲に園路を巡らして、築山、池中に設けた小島、橋、名石などで各地の景勝などを再現し、園路の所々に休憩所、展望所として茶亭、東屋などが設けらているのが普通である。
「識名園」の池に浮ぶ島には、中国風東屋の六角堂や大小のアーチ橋が配され、池の周囲を琉球石灰岩で積みまわすなど、琉球独特の工夫が見られる。

識名園の造園は、琉球の第二尚氏王朝時代の尚穆(しょうぼくおう:在位第14代国王)の時代に始まったと言われるが定かではないとも・・、1799年頃に完成したともいう。
首里城の南にあたるので別名・「南苑」とも呼ばれ、沖縄隋一の名園といわれる。

王族の保養の場としてだけでなく、冊封使や実質的に琉球を支配をした薩摩の役人たちを接待する場としても使われ、交流によって琉球に与えた文化的影響は大きかったとされる。 

「御殿」から導かれるように、回遊池を挟んだ反対側に小高い丘がある。
園内に設けられた「勧耕台」といわれる展望台であるが、この展望台は見る者によって一種錯覚をさせるように造られているともいう。 

海が全く見えない形で、如何にも広大な陸地が存在するかの如く装い、農耕の豊かさを表現し、併せて国を富ませよとの尚王家の意向を示すものともいう。 
これは「大琉球」のイメージを維持する為のトリックで、中国側に誤解を抱かせるように設えたとも言われている。それ故に中国は、琉球を九州並の巨大な島・「大琉球」をイメージしていたともいう。


琉球王家は、識名園以外にも17世紀の後半に完成した「御茶屋御殿」(うちゃやうどぅん)と呼ばれる別荘を持っており、識名園が首里城の風水上の南(方位の西)に位置している事から南苑とも呼ばれたのに対し、御茶屋御殿は首里城の風水上の東(方位の南)に位置していた事から東苑とも呼ばれた。 
しかし、沖縄戦で園内の建造物は全て破壊され、現在は他の建物が建っている。

識名園もまた沖縄戦で大きな被害を受けたが、1975年より復興と整備が進められ、ようやく現在のような姿を取り戻したという。 
復興後すぐの1976年には国の名勝になり、2000年には特別名勝になった。 
そして2000年12月2日にはユネスコの「世界遺産」にも登録された。


夕刻迫る中、係員が戸締りや後じまいを始める中、既に訪問客は無く我等は追い立てられるように「識名園」を後にした。

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