沖縄紀行と案内・12


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沖縄紀行(12)今帰仁 「今帰仁城」



城壁


今帰仁名盤
写真:今帰仁城壁と世界遺産の銘盤



グスクのなかでは最大級の規模を誇っている「今帰仁城」・・、

公園から北方の沿岸に向かい、5,6kmいった今帰仁村の「今帰仁城址」へ向かった。
丘の上には信じられないような巨大な石垣が延々と連なっている。 
正面入り口には右に「史跡・今帰仁城址」と石柱で、左に新装な刻印で「世界遺産・・・・・」として八箇所の遺産を紹介している。
そうなんである沖縄には世界遺産が八つも有り、その内の一つがこの巨大な今帰仁城(なきじんじょう)なのだ。

ところで、今帰仁・「なきじん」という地名は文字も、読みもずいぶん変わっていて通常ならならとても読めそうにない地名である。 
小生もなかなか読めなくて、来る途中息子に聞いたり、道路標識のローマ字表記でnakijinと記してあるのを何回も見直しては覚えようとしたが、それでもすぐ忘れてしまう始末であった。

何故、「今帰仁」を「なきじん」と読むか・・?、
又、何故、「なきじん」で「今帰仁」と書くのか・・?。 

昔は「いまきじん」だったり「みやきせん」だったりと様々に発音されていた時期もあったようであるが。
ところで、北海道のややこしい地名については大半がアイヌ語から和語にされたらしいが、この時、アイヌ語の発音を聞き、当て字をしたのが「音訳」、アイヌ語の意味から付けたのが「訓訳」とされている。 

琉球沖縄も同様らしく江戸期末期、明治期に「琉球処分」(日本国に併合)にあい、この時に琉球語が和名の漢字に置き換えられたとも言われている。 
それにしても琉球語の「なきじん」が何故「今帰仁」になったのか・・?やはり疑問は残る。 ネットでも方々調べたが鮮明な解決はなかった。


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城址は東側を川、西側を谷、南側を崖に囲まれた丘の上にあり、1500mにおよぶ見事な石垣城壁に囲まれている。
今帰仁城は琉球王国の城で、沖縄ではと書いてグスクと読む。
王府・「首里城」に匹敵する面積をもち、グスクのなかでは最大級の規模を誇っているが、実は、誰が造りはじめたのかは全く判っていないという。
築城は13世紀頃(日本の鎌倉期)といわれている。 

琉球に統一王朝が樹立される直前の三山時代(1322年ごろから1429年で北山・中山・南山の時代)の北山を治めた王の居城でもあり、当時は三王朝とも中国の明帝国に献上物を送りながらも交易、交流を深め貿易も盛んに行われていたようである。
北山からは、中国製の陶磁器が完全な形で数多く出土し、今帰仁城の規模等から北山王の強大な勢力が伺えるともいう。
しかし、攀安知王(はんあち・北山最後の王であり、居城の今帰仁城にて自刃する)の頃、自身の武力に頼り、栄華を欲しいままにしていたが長くは続かず、やがて統一を目指す尚巴志により攻め滅ぼされてしまう。
城そのものは三山時代から薩摩藩の琉球侵攻まで使用されていたらしいが、侵攻後は放棄され地元の聖地とされていたらしい。 


聖地といえば、琉球時代は国王が神職(ノロと称した)を任命し、国家の安全、五穀豊穣、航海安全などの祈願をしたようで、つまり「祭政一致」の王国だったようである。 
城内には神の降り立つウタキ(御嶽:沖縄ではこのような地域が数箇所あり神が降り立った神聖な地とされている)という神域も在り、神職以外の者が入ることを禁じ、特に男子禁制の地ともなっていた。

現在でも信仰の拠点として大切に受け継がれているとのこと。 
それが証拠に・・?、今帰仁城には一昔前までは鳥居があり、鳥居の在った場所は現在の世界遺産の表示の辺りったと云われる。 
しかし、鳥居が示す神と琉球の神々とは全く異質のものであり、それは、日本政府によって今帰仁城を神社にしようという計画があったらしく、この鳥居は第2次大戦を目前にした皇民化教育による名残ものだったらしい。
鳥居は終戦後、日本の国内制度が変わってからは無意味の物となり破棄されたのだろう・・?、 城址は、今は公園になっている。

七、五、三の奇数の階段が城門まで、緩やかな参道が一直線に延びている。 
拝みに来る人や見学者のために参道として昭和期に造られたらしい。
城壁の上まで登ると海も見えて眺めがよろしく、晴れた日には遠く東シナ海から伊是名島までを見渡せる。


ここは又、桜の名所として有名らしい。この桜は寒緋桜(かんひざくら)の名所としても有名とのこと。
面白いことに、こちらの方では桜前線は北から南に下がるという。 
気が付くと、付近のヒガン桜がチラホラ咲きかけている。 

又、グスクを訪れる際には、「ハブ」に十分ご注意をと地元のひとは注意を呼びかけている・・、時に石垣の隙間に潜んでたりしているという。

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