沖縄紀行と案内・9


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沖縄紀行(9)嘉手納 「沖縄基地」




住宅のすぐ近くに存在する「嘉手納基地」



沖縄の基地・・、

北谷町を過ぎると嘉手納に入る。
御存知「嘉手納基地、飛行場」の町で、時折その広大な別世界が見え隠れしている。
因みに、嘉手納町の八割以上がこの基地と嘉手納弾薬庫が占有しているらしい。

嘉手納飛行場は東京羽田空港の約2倍の広さがあるそうで、4,000m級の滑走路2本も有し、200機近い軍用機が常駐する極東最大の空軍基地である。 
尚現在、成田空港と関西空港には4000m級の滑走路が1本ずつしかないため、2本ある嘉手納基地は日本最大の飛行場ということになる。 嘉手納は基地の県・沖縄の象徴でもある。

この基地から朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸裁争そして近年のイラクでの軍事作戦などフルに活用されたという。 
尚、沖縄上空は全面的に嘉手納基地(嘉手納ラプコンともいう)の管制下にあり、民間機は不自然な低空飛行を強制されているという。 我等が那覇空港にて乗降し、離着陸する民間機は低空を飛ぶことになり、これは別に沖縄の観光サービスでも何でもないのである・・、念のため。

周囲20kmの基地の大きさの中に米人住宅はもとより保育所から大学・教会・劇場・銀行・病院・ゴルフ場・野球場・軍属専用の民間機も格安の料金で運航されている。 
一歩基地内に足を踏み入れれば、道路には米名が冠せられ、黄色のタクシーが走り回っている。
又、沖縄県民の子供たちを基地内の六大学へ留学させようという話すらあり、但し、入学の際には基礎的な英語力が必要だとか・・、基地はまさに、彼らがよぶ「リトル・アメリカ」なのである。

序に、この基地の経緯について・・、 
1944年頃から旧日本軍によって建設された「中飛行場」が前身で、全島から住民が動員され、その中には子供達までが芋(いも)を持参して飛行場建設に動員されたともいう。 
基地は1945年4月の米軍本島上陸地点でもあり、上陸後結局、日本軍は誘導路を自ら爆破して、飛行場として使用することなく南部へ撤退している。
現在の第1ゲートを入って左手奥の「ウカマジィー」という丘には当時野砲陣地などが築かれ、そのため地元の女子青年団が砲弾運びで20名程動員されたらしいが、その内17名が集団自決でな亡くるという悲劇も起きている。


沖縄では、琉球語で城を「ぐすく」、谷を「たん」と読む・・、

嘉手納の次は読谷である。 
「よみたに」でなく「よみたん」と読む・・、尤も、北谷と書いてこちらは「ちゃたん」と読む。
北海道もそうだが沖縄の地図を開くと、これは何て読むんだ??、という読み方不明の地名がたくさん出てくる。

 「谷」は「たん」であったが、他に「城」という文字は地名になると「ぐすく」と読み、宮城は「みやぐすく」、兼城は「かなぐすく」となる。
他にも「原」は「ばる」と読むことが多く、南風原(はえばる)、与那原(よなばる)となる。
尚、九州地方も「原」を「ばる」と呼んでいるようである。因みに、「沖縄言葉」を「うちなあぐち」という。

一般に、北海道は元々アイヌ民族の地であったから、現地のアイヌ語言葉を無理やり日本語に変換したのであり、沖縄も同様で元々は琉球王国の言葉であった。
従って、国内漢字の音をアイヌや琉球などの言葉に置き換えた為に外国語のように難解になったようである。

だが、始めは国内漢字に置き換えて現地の読みをしていたが、次第に難解なので日本語読みに変化しつつあるのも事実のようである。 尤も、日本の漢字そのものも「漢の字」の如く北方大陸からやって来たもので、その後、本来の「大和言葉」が次第に「漢の字」に置き換えられたものでもあった。


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沖縄生活の経験ある息子と、車内で琉球語やその読みについて論議しているうちに恩納村のホテルに着いた。ホテルは「恩納マリンビューパレス」という。


ホテル
恩納マリンビューパレスと客室

ホテル部屋



国道58号線沿いのやや高台にあり、どの階からもそうだが当方は13階であり正面に東シナ海の太洋、沖縄ブルーが一望の下である。 
眼下には先回訪れた懐かしの「ムーンビーチホテル」が海に面して横たわっていた。

こちらのホテルを選んだのは特別の理由があって・・、
実は、大人4人の他に幼児が2人(4歳と1歳)いたのでどうしても和室が欲しかったのである。
宿泊した部屋はツインベットの部屋に4.5畳の和室(和洋折衷の部屋)が付いていたのでまっ事都合が好かったのである。 

他にキッチン付、バストイレに独立した洗面台、下駄箱付で十分すぎるほどの広さで充分満足であった。最上階はパノラマレストランになっていて水平線からの朝日や夕日が望まれ絶景である。
その他にもホテル内には売店コンビにの他、コインランドリー、プール、ダイビングショップなどがあり長期滞在や家族連れにはいい感じで、選択は大成功の部類であった。

夕・朝食はバイキングで和洋の種類も多く、味もまずまず美味しく、特に夕食は沖縄の食材を使ったメニューもあり見た目より以外とボリュームがあって満足であった。 ドリンクサービスのビールと地元・泡盛をあおって、程よい気分になり沖縄の第1日は過ぎていった。

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