「沖縄旅行と案内」8

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【沖縄道】

孫ども2人も元気良く、すっかいり荷物をまとめて「恩納マリンビューパレス」を後にした。

毎度、毎度、58号線に世話になっていたので、最後の日でもあるし試しに「沖縄高速道」に乗ってみようか・・、ということになった。
すぐ近くの仲泊から石川方面に向かうと程なく石川I・Cがあり、ここから高速へ入った。 沖縄の高速といっても名護市を起点として那覇市に至る僅か57kmの高速道路で、チョットスピードをだすと30分足らずで走りきってしまう程の短距離である。
細長い沖縄本島には主要な58号線とか329号線がほぼ並行して走っているのだから、果たして必要だったのだろうか・・?、との疑問もあったが、そこは沖縄であるし納得しよう・・。

石川ICから那覇ICまでは600円の通行料であった。
因みに、全線では1000円であって、ETCの割引を利用すれば500円である。 我等が住む首都圏(東名高速)として計算すれば57km程度を利用した場合の通行料金は1850円となっている。 即ち、沖縄道の通行料金はかなり格安(46%引き)であると見なせる。
尤も、沖縄では政府の沖縄緊急経済対策の一環として、1999年から通行料金が引き下げられたらしい・・。2002年までの時限措置で実施されたようだが、現在も値下げが続いているという・・、結構なことである。

現在国会では、「道路特定財源」の一般財源化や本年3月一杯で切れる「ガソリン暫定税率」など、道路に関する税金の廃止か存続かの話が最近盛り上がっているようです。自民・与党は何れも現行どおり押し通そうと気張っているようであるが・・。

基本的にガソリンが高いぞ・・!、暫定税率というヤツがあるから・・。
道路はこれからも造るぞ・・!、自動車を利用する受益者から税金を負担してもらって・・。

私観であるが・・、
端的な例で・・、地方の高速道路の無い地域では、どうしても高速道路が欲しいらしい・・?。高速道路が通っていないため不便なのはわかるけど、基本的には天然資源の石油が上がり続けたら車に乗る人が激減して道路そのものの存在価値が無くなるし、人口減少の始まった衰退国家において、今更ながら何故・・?有料の高速道路が必要なのかは多いに疑問がある。
無料の高速道路(国道)でもいいのではないか・・?、それにガソリン税(道路財源)を払い、道路のための重量税を払い、更に高速代金を払う・・、となると、これは三重の搾取である。
今の政府与党の考え方からすると現行の既存権益は絶対に離さない・・!!、つまり有料高速道路の無料化などは絶対に有り得ないであろう・・!!、しかし、せめて沖縄道並の通行料金にならないものか・・、これもダメかね・・!!。


【おもろまち】

那覇ICで降りて「DFSギャラリア・沖縄」に向かった。
地域は、那覇中心街から北東凡そ2kmの「おもろまち」という処にある。
ただ、この地域は車のナビゲーションにも手元の地図にも乗っていないのである、つまり全く新しい町並みなのである。
この地域は、米軍基地返還後の用地を再開発した新商業地区で、「那覇新都心」とも呼ばれている。大型ショッピングセンターや総合運動公園などがある複合都市に変貌している。

主要な交通機関である「ゆいレール」というのが走っていて中心に「おもろまち」という駅もある。

那覇新都心・「おもろまち」
おもろまち駅(2006年11月10日撮影)
沖縄唯一の鉄道・モノレールである「ゆいレール」

「ゆいレール」というのは2003年に開通している。 
都市型モノレール線で、那覇空港駅と首里駅を結ぶ交通網で、愛称の「ゆい」は沖縄の言葉の「ゆいまーる」(「雇い回り」を語源とする村落共同労働を意味する言葉)の「ゆい」から取られたものといわれる。

この那覇新都心の一角、ゆいレールの「おもろまち」駅前に「DFSギャラリア・沖縄」があった。

昨年5月ハワイへ訪れた際にも「DFSギャラリア・ワイキキ」という所ででお土産などの買い物をしたが、何れもブランド物などのすべての取扱商品(最大購入金額20万円まで)の関税が免除されるというものである。
尤も、沖縄は返還前ならいざ知らず、今は同一国内で関税などは無関係である。
ただ、中国や韓国など海外の旅行者にとっては、有り難い存在であろう・・。

ところで、我等は「DFS」へ買い物にきたのでは無かった、借り物に来たのである。このDFSギャラリアの中には各社のレンタカーの営業所があって、車もバッチリデポしてある。
そこで、我等上さんと(妻)と2人は南部方面へ観光に向かうため小型のレンタカーを借りるためであった。
息子は、沖縄時代(学生の頃)の学友二人と親交を確かめ合うため、こちらへ残ることになった。


【沖縄尚学高】

手続きを終えて那覇市内から南部沿岸方面へ向かう。DFSギャラリアのすぐ前、おもろまちを南北へ縦断する330号は、ゆいレールが立体となって並行している。
この道を南下しながら次に507号線を東へ辿る・・。

途中、「国場」という交差点があった。息子が1年間沖縄の在学の頃、この辺りで下宿していたのを何となく思い出す、すぐ近くには沖縄大学や沖縄尚学高が在るはずである。

丁度その時期に、かの沖縄尚学高が春の選抜高校野球大会で全国優勝したのを息子が大変喜んでいた・・。沖縄の高校が全国優勝というのは、全国の高校野球ファンならずともある種の悲願であった。
小生も高校野球ファンの端くれで大変嬉しいことであった、あの時の決勝戦は記憶に無いが準決勝のPL学園との激烈な試合内容は今でも記憶の隅にある。


第71回 選抜高校野球大会(平成11年)

準決勝(延長12回)
沖縄尚学   200 100 200 012=8
PL学園    010 100 300 010=6

決勝(全国優勝) 
水戸商     020 000 000=2
沖縄尚学    020 021 20x=7


  【追記】
本年(平成20年)春、嬉しい便りを追加することになった。
本年の選抜大会において「沖縄尚学」の3年ぶり4回目出場を記載しようと思ったが、その戦績結果について吃驚仰天してしまったのである・・。

第80回記念選抜高校野球大会の決勝が4月4日行われ、3年ぶり4回目出場の沖縄尚学(沖縄)が初出場の聖望学園(埼玉)を9−0で破り、9年ぶり2回目の優勝を果たしたのである。当校は無論、沖縄勢として選抜優勝は2回目であるが・・。
沖縄尚学のエース東浜巨(3年)が聖望学園を6安打完封に抑え、3連投のエースを助けようと打線が奮起。初回から先制し、今大会でチーム最多の15安打、9得点を挙げて大差で聖望学園を突き放した。
沖縄尚学は4回、一気に畳み掛けて4点を奪いほぼ試合を決めた。 唯一のピンチとなった七回2死満塁でも適時打を許さず、「完封を狙っていたが、思った以上の投球が出来た」と東浜投手は言う・・。
主将の西銘も「僕たちはウソの練習はしてこなかった。比嘉先生からスキのない野球、深い野球を学んだ」と言う。

現監督の比嘉公也氏(26)は、初優勝した第71回大会(1199年)でエースだった投手で、就任2年目で投打ともに優れたチームを育て上げ、母校を再び優勝に導いた。
彼は今大会の最年少監督で、史上14人の『優勝選手&優勝監督』は、「不思議な気持ちです」と微笑んだ・・。

因みに、「沖縄尚学」は文武両道の県内でも有数の進学校であり、難関国公私立大学への進学者も多いという。 地元では「沖尚」または「尚学」として親しまれているという。

第80回記念 選抜高校野球大会 【決勝】

聖望学園(埼玉) 000 000 000 0
沖縄尚学(沖縄) 114 030 00x 9  



道路標識が「南風原」という地名を盛んに指している。

「みなみかぜはら」・・?、北の方には北風原があるのかな・・?などと独り言を言ってると、運転している息子が「はえばる」って言うんだよ・・と。
「原」を「ばる」と読むことは承知していたが、「南風」は「はえ」か・・、如何にも沖縄、琉球らしい読み方である。

町並みが続く「南風原町」は那覇の隣町で6市町に囲まれており、現在沖縄県では唯一、海に面していない自治体であると・・。

王都時代には首里に隣接する地域特性から文化的な影響を直接受け、人の流入も多く首里から移住した士族によって形成された屋敷集落も多数あったという。
沖縄戦中、南風原は司令部のある首里の後方陣地として、20余の日本軍部隊が村内各地に配備されていた。だが、その沖縄戦によって南風原は住民の40%以上が戦死するなど壊滅的な被害を受けている。
現在は、那覇市のベッドタウンとして都市化が急速に進んでいるという。


海岸に近ずくに従って家並みも少なくなり、開放感あふれる道になっている。
両脇の広い歩道には南国特有の色々な種類の街路樹が植え込んであり、目を楽しみながらのドライブである。

気が付けば国道は331号に代わっていた、そして地域名も「南城市」となっている。だが、建物や施設名には左敷、知念といった名称が多い・・。 実は、南城市(なんじょうし)は2006年1月、佐敷町、知念村、玉城村、大里村が合併して誕生したのである。

国道は知念半島(・・?)沿いを巡るように延びている。 
沿岸は丘陵、山岳地となっているため、屈曲上下しながら忙しげに走るようになり、丘の上からは沖縄特有の紺碧の海が常時望まれる。
半島の東端に位置するところに、派手なモニュメントがあって「知念海洋レジャーセンター」を示している。



【斎場御嶽】

そのすぐ近くに沖縄の霊場といわれる「斎場御嶽」(せいふぁうたき)があったので寄ることにした。

知念岬公園を超えた先にある道を右手に入り、くねった山間の道をほんの少し上るとサッパリした無料駐車場と管理棟があった。
観光客もちらほらと見えていて、管理費用らしき賽銭ほどの料金を払って入場した。
すぐ前に、斎場御嶽と世界遺産の碑が迎えてくれる。
その先は、御門口(ウジョウグチ)と呼ばれる神聖な入り口があり、参道は石畳が敷かれている。 

霊場は、各神域であるウジョウグチ、大庫理(ウフグーイ)、三庫裏(サングーイ)、寄満ユインチ)などといった参拝所がある。ここには社宮といった構造物は一切無く、あくまで全くが自然であり、太古(縄文期)の様式がそのまま現代に引き継がれ、残されている感じである。
中でも、斎場御嶽の中で最も見応えのあるのは三庫裏といわれる拝所で、巨大な大岩を合「わせた2つの石で構成され、三角形をした洞門の奥に光が射し込んでいるその様子はここが聖域であることを実感させる。

洞門をくぐると、そこは久高遙拝所と言い、琉球開闢に登場する「アマミキヨ」という女神が降臨したという神話の島「久高島」(くだかじま)を望むことができる。
尤も、この洞門は約1万5千年前に起った地震の断層のズレから出来たと言われているが・・。

「斎場御嶽」は、様式は異なるが国内の「伊勢神宮」に喩えられるともいう・・?、
琉球開闢は、「アマミキヨ」という女神が降臨したという神話の島「久高島」から始まる。国内においての国土開闢は、古事記によると「イザナギ」、「イザナミ」ともとれ、その子である「アマテラス」一族が九州・「高天原」(九州宮崎の山地)に降りて国土を形造ったとされる。
アマミキヨもアマテラスも女性の神であることも共通類似しているのである。

ところで、「斎場」の意味は我等も馴染み深い「さいじょう」のことであるが・・、 
「斎」は、内地では「いみ」といわれ、「神事に慎むこと、心身を清浄に保ち慎むこと」とされる語である。 
日本おの古代の氏族の一つに「斎部」(いんべ:忌部)という、朝廷の祭祀を専門に奉仕する一族があった。
斎場(せいふぁ)は、琉球でも「心身を清浄し、神に慎むこと」なのであり、御嶽(うたき)は、神が降臨し鎮座する聖域のことを指している。

琉球は七つの御嶽から出来上がったと伝えられ、そのうちの一つがここ「斎場御嶽」であり、その歴史から七御嶽のなかでも琉球王国最高の聖地とされて、王族以外はその神域には入れないとされていた。

併せて、御嶽は聖域として近年まで男子禁制であったという。
斎場御嶽では庶民は入口の「御門口」を越えて進入することは許されず、国王、主官であっても、御門口より先に入るには袂の合わせを女装に改める必要があったという。

今は観光地化されてメジャーになり、世界遺産として登録されてからは沖縄外からもより注目される場所となっている。 その内、観光バスがぞろぞろやって来るのだろうか・・?。今のところ、佇まいには特に変化はないように思われるが・・。
沖縄には現在も聖地を巡拝する行事「東御廻り(あがりうまーい)」というのがあるようで、当地はその代表的参拝地として、現在も御願(うがん)に来る「おばあ」達が絶えないという。 

尤も、敬虔な「おばあ」達の御願は、世界遺産とは何の関係も無い・・!。

「斎場御嶽」(せいふぁうたき)・・、
三庫裏(サングーイ)
斎場御嶽8
石畳の御門口(ウジョウグチ) 斎場御嶽(せいふぁうたき)と世界遺産の碑

斎場御嶽の近場に、特に足は向けなかったが「知念城址」がある・・、自然石を野積みにした石垣で囲まれた「古城」と、その下に切石積になった「新しい城」の両方からなっているという。古代・琉球の歌集に『おもろさうし』というのがあるらしい・・、この歌の中に古城のことを・・、

『 知念もりぐすく、神降り始めのぐすく、アマミキヨが、のだて始めのぐすく 』

と言うのがある。

「 知念城は、天孫氏の代のアマミキヨが築いたものと 」・・、と詠っているのである。

「天孫氏」とは、琉球最初の王統で、天孫氏王統(天孫王統)と伝えられる。
天帝の使として下界に降った女神アマミキヨは三男二女をなし、長子及びその子孫が歴代の国王になったという伝承で、天帝の子孫にあたることから天孫氏と呼ばれる。この辺りも、内地の天照一族の「天孫族」と極めて類似している。
又、新城は琉球歴代の王朝である「尚真王」(しょうしんおう)の時代に築かれたという。
尚真王は、三山時代の後の統一王朝、第二尚氏王朝の第3代国王(15世紀後半〜)とされている。  次頁へ 

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