「沖縄旅行と案内」5

沖縄紀行Part5:(ネオパーク、名護公園、パイナップルパーク、万座毛
沖縄紀行Part6:(琉球・宿道、アメリカンビレッジ、ちゅらーゆと琉球料理
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【本島北部⇒中部】

【名護:ネオパーク・オキナワ】 

沖縄3日目が明けた・・。
一両日前は快晴の沖縄であったが、本日上空は色の濃い灰色の雲が大部を占めていた。しかし、今のところ雨の心配は無さそうである・・、ただ念の為雨傘をホテルより借り受け持参することにした。

昨日予定していたが、事情で取り止めてしまった名護の「ネオパーク・オキナワ」(名護自然動植物公園)へ向かうことにした。
きのう同様に58号線を名護方面へ向かう。

名護海岸を行くと、名護市中心部の海岸沿いには緑の公園が広がっている。 「名護21世紀の森公園」という多目的運動公園で、サッカー・ラグビー場、野球場、広場やステージ、市民会館もあり、海辺には21世紀の森ビーチという美しい人工ビーチが作られている。
そしてここはプロ野球・日本ハムのキャンプ地でもあるらしい。

今はすで2月に入っており日本ハム球団も基礎練習などで汗を流していることだろう。 日ハムといえば北海道・札幌がフランチャイズであることは周知であるが、一昨年のシーズンで「新城」などを中心に日本一に輝いている。 その年の暮れに近い時期、北海道旅行での帰り道、日ハムの「札幌ドーム」内」を見物している。丁度、日ハム選手の練習中で、かの、森本や稲葉選手が快く手を振ってくれたのが懐かしい・・。

因みに、既にTVやスポーツ紙等でお馴染みになったが、今年の新人で高校生ドラフトNo.1と言われる大阪桐蔭の「中田 翔」が入団している。 中田は、名護キャンプでの初めての実戦対決でやや不調だった、その彼のことをオリンピックの代表監督・星野氏が「今は我慢や、最初からポンポン打ってどうするんや」と笑い飛ばした。そして天性の飛ばす力があるのを知っていて「オレだったら30試合ノーヒットでも使うよ」と言い切った。
星野監督は近日、日本ハムの名護キャンプを視察に訪れ、中田と初対面する。そして、今年より、あの「信じられない・・!!」のヒルマン監督から梨田昌孝監督(54)に代わっている。


この名護公園を過ぎた辺りで国道は二股に分かれる。左の海岸沿いは国道449で昨日訪れた「海洋博」に至り、我等は今度は国道58をそのまま進む。
目的地の「ネオパーク」(名護自然動植物公園)はここより4kmほどのところ、概ね国道に面してあった。
入り口は、西部劇のセットみたいな模じモジに模じった大岩のトンネルが迎える。



息子家族4人は、孫達に「ゾウ亀」や園内を巡る「ミニ列車」に乗せるとのことで入園し、我等、老取(ロートル)組みは別行動、名護城址など他の施設を回ることにした。

ところで、この「ネオパーク・オキナワ」は沖縄の温暖な気候を生かして世界各地の自然を再現したテーマパークで、熱帯、亜熱帯諸国などに生息する動物たちが互いの生態系を壊すことないよう区分けされ、自然に近い状態で観察できるという。
今人気の北海道・旭山動物園の形態に類似しているが・・、どちらが先駆者か・・?。
又、園内を走るミニ列車のことであるが・・、過去に、沖縄に鉄道が走っていたことは露ぞ知らなかった。

1914年(大正3年)12月、沖縄本島南部の那覇駅〜与那原駅間を「沖縄軽便鉄道」というのが敷設されていたらしい、その後も嘉手納駅まで線路を延長し、更に北部の拠点名護市までの延長も計画もあったらしいが、第2次世界大戦の戦火で消失し、以降沖縄県から鉄道が消えてしまったらしい。

ネオパークでは、軽便鉄道で最初に導入された機関車を園内を1周するガイド機関車として再現したものであると・・。 運行中には、公園の動植物について機関士が丁寧にガイドしてくれるとか・・。



【名護中央公園】

我等2人は「ネオパーク」を後にし、すぐ近くを走る県道71号にて名護方面へ向かった。途中から名護公園方面へ・・、名護城址はこの名護中央公園の園内に在るのです。
最近舗装したばかりの道を山腹に沿って登っていくと見晴らし園地などもあり名護市街が見渡せる。 聞くところ、この先名護城址へは道路工事で、車での通行は不可らしい、仕方なし徒歩で行くことにした。
公園は標高345mの名護岳の山腹に位置しているため上り下りが大変であるが、散策道も良く整備されていて歩きやすい。 

それにしても暑い・・!、出掛けには雨の心配もあったが、今はスッカリ晴れ渡っている。日差しも強く、気温は24、5度位らしいので夏日である、暑いはずである、さすがに沖縄である・・。
園内は桜の木が多く、既にチラホラ咲きかけているのである。

今帰仁でもそうであったが、こちらの園内も何と2万以上の桜の木が植栽してあるという、今月末ともなると見事な緋寒桜(カンヒザクラ)が咲き誇り、さくら祭りが盛大に催されるという。こちらの桜はソメイヨシノなどと違って小ぶりの低木で、花は下向きに咲くようである・・。

下るきった所にかなり大きな吊橋があった。 名前もそれらしく「さくら橋」と称する。
写真のようにこちらも名護市街が一望である。


名護公園のさくら橋と橋中央の見晴らし所(桜の模様が施してある。上さんが否がるので小さくしました)


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【名護城址】


この橋のすぐ上に目的地の「名護城址」が在った・・??、
確かに石柱に名が刻してあり、高方へ向かう立派な階段も設えてあって期待をそそりながら上って行く。
しかし、そこには平坦な空き地があるだけで城址らしい跡形は無い・・、在るのは「拝所」と呼ばれる跡が点在するのと一件の立札のみだった・・。

名護城の起源については、本格的な発掘調査が行われていないので正確な年代は判らないが、これまでの遺物から少なくとも沖縄グスク時代の14世紀頃ではないかとも言われる。この頃、今帰仁城主の弟にあたる名護按司(あじ)が居城としていたとも言われる。
ところで名護城には首里城や今帰仁城のように石垣が張りめぐらした防御施設が見当らないが、深い山中が天然の防御になっており、特別な防御施設など必要無かったのかも・・。



  【名護パイナップル・パーク】

名護城址、否、名護中央公園を後にして、次に同市内にある「名護パイナップル・パーク」を訪ねることにした。
先ほど息子達を見送ったネオパークの前を素通りして、チョット大きめな信号を右折して2kmも行かないうちに大型観光バスも止まっている賑やかエリアに着いた。同じような熱帯園らしいのが2棟並んでいたが、お目当ては手前の「パイナップル・パーク」である。

因みに、奥の方は派手な看板が目を引く「フルーツ・パーク」といって、南国特有の熱帯果樹パパイヤ、バナナ、グアバ、マンゴなど凡そ30種類が見られる南の楽園で、他に、熱帯性の蝶や小鳥が観られるらしい・・。


さて、パイナップルパークであるが・・、
こちらも入場口前の広場には巨大なパイナップルやマンゴ・・?の造作で飾ってあり、そこが記念写真のセットになっているようだ・・。

入場しようとすると案内のお姐さんが、半ば強引に引張りこんで変てこな自動車(カート)に乗せようとする・・、「勝手に行くからいいよ・・!」と断ろうとすると、「園内は自動車に乗り、見物するようになっております・・」だって・・、仕方なしに乗り込んだ・・。
園内は熱帯性の植物が多数植生しているが、いかにも造園士が造り上げました・・、と言わんばかりの造作で、些か辟易する・・。
自動運転のパイナップル号は、小さな子供達には大興奮であろうが、いい年の夫婦2人だけじゃチト物足りない。車内の遠隔アナウンスが音楽とともに流されてきて、時には「曲がります」、「上ります」と丁寧に案内してくれる・・、どうでもいいけど・・。
10分も乗っただろうか、「ハイ、こちらが終点です」と、又もやお姐さんガイドが・・「こちらからどうぞ・・、」と通路を指差して、指示している。次に案内されたのは巨大な一方通行の「土産売り場」であった。

こちらのウリは「パイナップル食い放題・・・」等であったが・・?
確かに食べ放題、飲み放題ではあるものの、ただの試飲が出来るといった感じである、おまけに、店員さんがベッタリと立っており、買わなきゃチョット飲食しにくいのである。
それでもこちらは熟年の図々しさで、しかも昼時で小腹も空いている時間帯でもある、先ずワインを戴き、ジュースを戴き、そこら中にある各種土産品の試食と最後にウリであるパイナップルや果物の試食を戴いた。お陰でお腹の方もいいアンバイになってしまったようだ・・。
出口には土産品を精算する勘定場がズラーと並んでいて、宅配専用のコーナーもある。上さんはいつの間にか一杯買い込んで、その宅配で自宅まで発送する程であった。

それにしても、土産店のレジ前を通らないと出られない様なシステムで、商魂たくましい従業員が買え買えモードでセールスしてくるし、店員の数の多さにも驚きであった。
いやはやお土産を買うのに入場料払うような感覚であった。 P・パークと言うよりお土産屋さんかいな・・?!。妙な気持ちでP・パークを後にした・・。


ネオパークでは息子家族もタップリ遊んだらしく満足気であり、合流して次には「本島中部」本面へ向かうことにした。


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【万座毛】


国道58号線を引き返すようであるが、途中「万座毛」へ寄ってみた。
案内板に従って国道をほんの少し海岸よりに行くと広い駐車場に着く。周りにはお土産屋がズラリ並び、アロハシャツから三線まで何でも有りのようだ・・。 駐車場から歩いてすぐの遊歩道へ向かう、草原が広がり、その先には東シナ海の水平線が見える・・、万座ビーチやANAのホテルが程よい背景となって更に景観を醸し出している。周辺は断崖絶壁で、足元がすくむほど高度がありスリル満点であるが、高さの苦手な小生にはいささか・・。柵がない場所もあり崖のギリギリまで行くのは危険であるが、息子と上の孫は断崖スレスレまで行っては小生を苛つかせる・・。

万座毛は、沖縄旅行の定番のスポットであり、「万人も座する草原」(毛とは草原のこと)琉球王朝時代、尚敬王が「万人を座するに足る」と賞賛したことが、その名の由来と言われる。
少々歩くと絵などでもお馴染みの象に似た大岩が見えるポイントがある。 隆起した珊瑚礁の石灰岩が波に侵食されて、独特の景観をつくっている。 「象の鼻」といわれる細長い岩の柱が、最大の特徴であり、写真撮影にはぴったりであろう・・。 
遊歩道はゆっくり歩いて30分あれば十分見物でき、夕日のスポットとしてもお勧めのところである。   次頁へ 

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